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サンハウス/風よ吹け

■商品案内■

●サンハウス/風よ吹け(CD)
ライブ アット クロッシングホール、
1998年福岡


●サンハウス/風よ吹け(DVD)
ライブ アット クロッシングホール、
1998年福岡



  ■サンハウス/風よ吹け(VHS、DVD)
  オリジナルライナーノーツ1-----西俣 秀喜





幼い頃から常に世界の中心は自由の国アメリカと思っていた。
中学の時、ビートルズに出会い、ストーンズに触れた。そのとき感じたのはロックの本場はアメリカじゃなくてイギリスにあるということ。そして中学、高校と多感な時期を八十年代に過ごした私が耳にしたのはシーナ&ザ・ロケッツ、ルースターズ、ロッカーズ、モッズ、A.R.Bと次々に出てくる九州の音だった。「日本のロックのメッカは東京やなか、博多ぞ」北海道に生まれ育ったはずの私が心の中でなぜかそう叫んだ。のちにそれら“めんたいロック”の全てのルーツがサンハウスであることを知り原点回帰の旅が始まるのだが不幸なことにそのスタートを切ったのは劇的な再結成をはがした83年直後であった。

LP盤クレイジーダイヤモンズに針を落とす。その直後に衝撃は訪れた。
キングスネークブルース…イントロからの圧倒的な破壊力に身震いし、スーツケースブルースの詞の展開に胸は切ない程、締めつけられ、序走をつけて一気にフィニッシュへなだれ込むB面最後のもしも、レモンティー・アイラブユーに脳天から爪先までビリビリとシビれた。

その後、デビューアルバムから順に収集しサンハウスにどっぷりと漬かる日々が続く。生はもちろん映像ですら見たことのないサンハウスのステージをクレイジーダイヤモンズのライナーに付属されているステージ写真を見て菊のギラついた目付きや観客の異様な雰囲気から想像してはいつも体中の血管を熱くさせていた。
国内において北海道は特異な地域といえる。例えば東京都内から一時間弱も電車に乗れば神奈川県や埼玉県に辿り着く。しかし、北海道の場合、道東の果て網走から最南の函館までは距離にして七百キロは優に超える。車での移動ともなれば一日でこなすのは命懸けになる。道内移動でさえこのような状況下であるから北海道においての他都府県に行くというのはかなりの大事である。大変な時間を費やすのはさることながら金銭的にもかなりの負担が強いられる。

時代は平成に変わり空前のバンドブームが巻き起こりおかげで地元でたくさんのステージを見ることができたが東京まで足を運んでライブを見るには当時、学生だった私には困難なもので結局、一度も実現することはなかった。そのため作詞活動からボーカリストとして復帰しセンチメンタルフールを発表した柴山俊之に勧喜し、音楽活動を続ける奈良敏博やA.R.Bのアルバムレコーディングに助っ人参加した浦田賢一に胸踊らせながら彼らが掲載されている音楽雑誌の記事を読みあさり、写真を見ては一喜一憂していた。その後も音楽への、ロックへの熱き思いはさめることなく続く。

時は経ち94年、長年の努力と情熱にロックの神様からのプレゼントが届く。
鮎川誠+シーナ夫妻との出会い、そしてこの後数多くの憧れだったミュージシャンたちとの交流が始まる。しかし、幸福な時を過ごしつつも人生に一つ欠けたモノを感じていた。だが100%の完璧なモノなどこの世に存在しないのだ…と大人の解釈をし自分を納得させ次のステップを踏み出した時、事件は起こった。
97年11月、陣内孝則のロックンロールミュージカル“バディホリーストーリー”を観劇し元ロッカーズの角英明と酒を交わしている時のことだった。「そういえば大変なニュースがあるんだよ。来年三月に福岡であるビッグイベントのトリにサンハウスが来るんだよ」。彼の言葉に頭の中は真っ白になり店内の騒がしい物音ひとつ耳に入らない。「サ………」言葉を失い忙然とする私に彼はニヤッと笑った。

かつてシーナがこんなことを話したことがあった。「ジミヘンドリックスもドアーズも間に合わんかった。だからストーンズも見れるなんて思ってなかったのよ。よかったわよねぇ見れて…」。東京から戻る機内の中で鮎川誠も「すばらしかったねぇ」とコメントした陣内の舞台の余興もどこへやら頭の中はこれから初体験する生のサンハウスのことで膨れ上がっている。新千歳空港へ降り立った時、思わずつぶやいた。「間に合ったな」 さらにビッグニュースが飛び込んでくる。イベントを前に、百人限定のシークレットギグを新宿ロフトで決行するという。凄絶なチケット争奪戦に勝ち残り遂にその日を迎える。

この日のサンハウスは83年再結成時のものではなくレコーディング時のオリジナルメンバーだという。サンハウスのメンバーのその後の活動は雑誌などでたまに紹介されてはいたがレコーディングメンバーともなると話は違ってくる。リーダーである篠山哲雄はサンハウス解散とともに音楽業界から足を洗っている83年再結成時にも参加していない。私が知っている彼に関する最新情報を言えば86年のFMステーションに“わが師わが友を語る”というコーナーで鮎川誠が「篠山さんは九州で鉄工関係のエンジニアをやっていて三年に一度ぐらい電話がある。ジミヘンが出バナの頃買ったストラトまだ持っているって」といった十年以上前のものだけだ。ましては坂田紳一にいたっては鬼平というアダ名とアルバムなどにある写真以外、どんな声でどんな性格でどんなドラミングを見せるのか、今じゃどんな顔なのかまったく想像もつかない。この二人がはじめて見れるという嬉しさとともに二十年以上のブランクを持った二人がはたしてサンハウスでいられるのか?という複雑な思いが交差した。

 98年2月22日、新宿…深夜のロフト前にひとクセもふたクセもありそうなロックな奴らが続々と集まる。
共に入っていたバンドのライブが押したようでいっこうに入場に関する告知がない。本当にサンハウスは実現するのだろうか?益々募る不安をよそに見慣れた顔が次々と駆けつける。花田裕之、井上富雄、池畑潤二、穴井仁吉、延原達冶、東川元則、etc…「あぁ本当にサンハウスを見に来たんだな」と改めて実感する。押しに押した会場は午前一時半。ロフトに乗り込むと同時に最前列のド真ん中に陣取りその伝説が現実となる瞬間をじっと待つ。

 シーナが司会に立ちメンバー紹介し一人ずつステージに上がる。聞きなれたカウベルの音とともに始まったオープニングはぶちこわせ。サラリーマンスーツに身を包んだ篠山のはきはきとしたバッキング、鬼平の重厚なリズム、奈良のビートはブンブンうなり鮎川のソリッドギターに乗せ菊のドス黒いヴォーカルがほえる。キングスネーク、ミルク飲み人形、風よ吹け…十年以上口ずさんだナンバーの連続。訪れた観客は誰もが合唱している。クレイジーダイヤモンズでは聞けなかった、鬼平だからこそできるミディアムテンポのナンバー、借家のブルースやオリジナルバージョンのもしも、ふるさとのない人たち。篠山のリズムギターが活きる。心にしみるスーツケースブルースにふっと一息。ロックンロールの真っ最中では菊が歌詞を飛ばしたがそんなことはもはやどうでもいい。イッキにアイラブユーで叩き込み個人的にとても聴きたかったあて名のない手紙は鮎川も東京へ出てきて最初に購入した高価なギター“レスポール&335”のシグネイチャーで披露。

 「お母さんなんでもっと早く産んでくれんかったと」そう母シーナに言ったことがある娘、陽子。理由はサンハウスを見たかったから…。そんな彼女はニコニコしながらステージ裾でカメラを構えている。

 やらないか、地獄へドライブで締める。アンコールはハイウェーにレモンティー。何度終わっても満足することない聴衆。かくいう私もこの時点で20曲をこなしていることなど頭の片隅にも無かった。再登場で夜は恋人、カラカラを演奏しサンハウスは終わった。まだ聴いてない曲があれもこれもと頭をよぎる中、ファンの大コールの中「もう終わりっダメッ、また今度…ねっ」そう言い切ってステージを降りた。時刻は午前五時を回っている。とてつもなく満足した感もあり、五時間ぐらい演っても足りない気もする。そう思えるほどの圧倒的な数の名曲にいまさらながら驚嘆する。打ち上げの席は時計を気にしながら参加し朝六時五十五分の新千歳空港行始発便に間に合わせるべく後ろ髪を引かれる思いで新宿を後にした。

 空港へ向かうモノレールの中、ギラギラと燃えるオレンジ色の太陽がゆっくりと上っていくのが見える。私はこの陽の出を一生忘れることはないだろう。伝説だったサンハウスは蘇えり陽は登った。この日2月22日は32年間の人生永遠の一日となった。

 SUN - RISE SONHOUSE。



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