★ サンハウスが教えてくれた ★
松本"KINKY"康 Conffessin' The Blues
トーク・ライヴ&レコード・コンサート「ブギしよう!〜これば聴きやい!」(@Juke Joint 2008/10/24)より
司会 :DJ Ogata
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司会 1970年代頃、博多でロックをしていた人たちの間では、先輩から後輩へ「これば聴きやい!」と音楽を伝え、
聴くという流れがあったそうです。そんな音楽を松本さんに、今日、紹介していただきます。
松本 私はバンドやったことがなくて、やろうかなとチラッと思っても、そのとき目の前にサンハウスの人たちがいたら、
もうやる気がなくなるわけよね。ひたすらレコード聴く側に回って、「ぱわあはうす」とかでバンドの人たちからも
教えてもらうようになったんです。それから何年か後にレコード屋をするようになるんだけど、するって思ったとき、
そういうのを人に知らしめたいなっていう気持ちがすごくあった。
マディ・ウォーターズなんかは普通のレコード屋にはなかったし、フリートウッド・マックもないしバリー・マンすらもない。
自分は好みがどんどん深くなってモータウンとかサム・クックとかも聴くようになったんだけど、そういうのもなかったけん、
それではいかんという思いがあったんです。それで私の今日の選曲は全部人から教えてもらったものになります。
1曲目は今でこそ当たり前のサム・クックです。これはサンハウスの柴山さんから1,000円ぐらいで買いました。
2枚組です。ジャケットに柴山さんのサイン、カタツムリの絵がかいてあります。ほかにも柴山さんからジェシ・デイヴィスの
「ウルル」を「もういらんけん、買い」って、500円で売ってもらったこともありました。
柴山さんちが天神3丁目で、もとのジューク・レコードの隣のビルの2階だった。
当時、自分たちには日課のようなものがあって、まず、福ビルのヤマハに行く。行くとサンハウスのメンバーの誰かがおって、
「ちょっと下のアウトリガー(ハンバーガー・ショップ)にコーヒー飲みに行こうや」ということになる。
コーヒーを飲んで、柴山さんが「オレんちに来んね」って誘ってくれたら何人かでゾロゾロ行く。
そこで「これば買うとっちゃけど聴くね」って聴いたのがジェスロ・タルやったりとかレイナード・スキナードやったりとか。
あの人いろいろ聴きよったからね。聴いては「もうこれいらんけん、買わんね」って。
じゃあ、サム・クックで「ブリング・イット・オン・ホーム」を聴きましょう。
▽ Sam Cooke / Bring It On Home [The Man And His Music]〈Best〉
松本 結局、私はサンハウスの人たちから教えてもらったわけです。
今日は、サンハウスのメンバーがそれぞれ何を好きだったかを紹介するのに終わってしまうかもしれませんね。
まず、浦田賢一です。彼はビートルズが好きなんだけど、ビートルズのメンバーそれぞれを均等に愛せるという不思議な人です。
当時はビートルズだったら、ジョン派だとか、ポール派だとか、ジョージを好きなのはたまにしかおらんとか、リンゴが好きだ
とかいう人はほとんどいないとか、という感じだった。
そういう時代にジョージ・ハリスンの「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」が新譜で出た。
浦田賢一はヤマハで飛びついて買ってました。私も当時買ったんだけどピンと来んでね、今聴くといいんだけど、
当時はクリームとかガツンとくるヤツが好きだったからね。でも、浦田賢一はこういうのも好きでした。
では、ジョージ・ハリスンの「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」から「ギヴ・ミー・ラヴ」を。
▽ George Harrison / Give Me Love [Living In The Material World](1973)
松本 次は奈良敏博の話をしましょう。奈良敏博で一番思い入れがあるのはブルースのレコードのこと。
「ぱわあはうす」で「ブルースにとりつかれて」というブルースをみんなで聴く、今で言うDJイヴェントを
オーナーの田原さん、柴山さん、マコちゃん(鮎川誠)の3人で始めて、私が助手のようなことをしよったんです。
「門前の小僧、習わぬ経を読む」みたいに私も少しずつブルースを聴きだしました。
ただ、どうしても音源がなかったり、何回かやったらネタが行き詰ってきたりする。
そんなときに奈良敏博がレコード持っとうらしいという話になった。でも本人は何にも言わんのよね。
だからマコちゃんと私がこう、両方で挟んで尋問するように「何か持っとろうが」。
マコちゃんが「チャーリー・パットン持っとう?」「…持ってますよ」
「ひょっとして『オリジン』のやつやなかろうね?」「…それですよ」「オリジンのやら持っとうとや!」。
ファンならときめくような盤を彼が持ってたんです。「じゃ次、持って来(き)」って、持って来させて、
それで音源が豊富になり「ブルースにとりつかれて」も進められるようになりました。
次に「ところで奈良、そんなとどこで買いようと?」という話になった。
自分たちもヤマハでいつもチェックしようけど、なかなか入って来なかった。
奈良敏博は大阪のサカネ楽器から買ってた。心斎橋の目抜き通りを一つ中に入ると長い商店街があって、
そこのレコード屋さん。一見、普通の店なんだけど、ちょっと奥に入るとそこがパラダイスで、
ブルースとかジャズの好きな人にはたまらんようなレコードがあったんです。
彼はそこの人と仲良くなったもんやから、新しいのが入ったら送ってもらっていた。
それで私も大阪に行く人がいれば「サカネ楽器ちゅうとこ行っちゃってん」と頼んでいろいろ手に入れてました。
そのうちの有名な1枚、マジック・サムの「ウエストサイド・ソウル」です。
当時2,800円で、今の金額にすると2万5千円ぐらいするんじゃないかな。物価が10倍くらいになってるからね。
清水の舞台から飛び降りる思いで買いました。
それでは「スイート・ホーム・シカゴ」を聴いてください。
▽ Magic Sam / Sweet Home Chicago [West Side Soul](1968)
松本 この人のおかげで裾野が広がったというのが篠山哲雄さんです。
篠山さんはハコバン時代はアトランティックのソウルとかやってた人でね、私はもうちょっとディープなソウルも
聴かせてもらってました。その反面、これを教えてくれたのが一番大きいですね。フェアポート・コンヴェンション。
イギリスのトラッド・フォークのリチャード・トンプソンという人が作ったバンドで、彼はフォーク・ロックのギタリスト
としても有名です。
篠山さんは当時、吉塚(福岡市博多区)に住んでて私もときどき遊びに行ってました。
彼はオーディオ・マニアでもあって、手作りのセットを作ってた。
スピーカーをあっちこっち置いていてレコードをかけるんだけど、「今どこから音が出てるでしょうか」というクイズに答えないかん。
「ひょっとしたらその本棚の横ですか?」「当たり」って。「次、分かるね?」「テーブルの下でしょ」とかやって遊んでました。
オーディオが4セットか5セット、もっとあったかな。スピーカーが全部で10個も20個も、その辺にゴロゴロゴロゴロしとった。
これは実に瑞々しい音楽で、後に私の大きな財産になりました。
では、フェアポート・コンヴェンションの「フォザリンゲイ」という曲です。
▽ Fairport Convention / Fotheringay [What We Did On Our Holidays](1969)
松本 次は鬼平の番ね。鬼平はブロークダウン・エンジンというバンドをサンハウスの前にやってて、これがまたなかなか良かった。
ちょっと行き詰まったとき、ちょうど浦田賢一が抜けたサンハウスが鬼平を引っ張った。柴山さんが電話一本で「お前来るか?」って。
私がやってる「サンライズ2000」というサンハウスの音源管理レーベルで、「ハウス・ストンプ」という、1974年の3月31日に
鬼平がサンハウスに入って初めて公式にやったライヴのCDを出しています。それを聴いてもらえば分かるかもしれないけど、
彼が入ったときに私がびっくりしたことがあった。
当時サンハウスはオリジナルをやりたくなってて、こういう感じでやりたいという音、構成、スタイルに彼のドラムが見事にハマったんです。
その前に奈良敏博が入ってたんだけど、彼のベースはザ・バンドのリック・ダンコのような重い、ドン、とくるようなベース。
それが入って、今度は鬼平が入ったことによってさらに安定感が増したんです。
鮮明に覚えています。その後の礎が築かれたという感じですね。
ただ、私は実は鬼平とあまり音楽の話をした記憶がないんです。というのは、鬼平は当時ワーゲンに乗っとったんやけど、
サンハウスの練習が終わったらすぐ柴山さんが「どっか行こう」って言って、鬼平が運転して出かけよったから。
で、彼が若き頃に小倉で店を出したことがあって、その店の名前が「461オーシャン・ブールヴァード」だった。
その店の名前と、当時みんなもこの曲は聴いてたというんで、エリック・クラプトンの「461オーシャン・ブールヴァード」から
「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を聴きましょう。
▽ Eric Clapton / I Shot The Sheriff [461 Ocean Boulevard](1974)
松本 私がサンハウスの中で一番長きに渡って教えを請うていたのが、皆さんご存知のとおり鮎川誠です。
自分では勝手に先生だと思ってます。「ブルースにとりつかれて」で助手をしたときから教えてもらっています。
それまでは私はビートルズとかポップな甘いのが好きやったから、ブルースなんてのはもう全然好かんやった。
例えば、ローリング・ストーンズの「ホワット・ア・シェイム」を聴くと同じ歌詞が2回繰り返しで出てくるんだけど、
これを「ミック・ジャガーは同じことを2回歌いよる。歌詞ば考えきらんばい」って話してました。
でも、これがブルースというやつで、その奥深い世界を知らずに生意気なことを言ってたわけです。
そんな私にブルースの面白みを教えてくれたのが鮎川誠です。
マコちゃんはほかにも、いろいろそのときどきに、いいのを教えてくれました。
次にかけるキンクスとかね。マコちゃんがこのレコードを「ぱわあはうす」に持ってきて「ちょっとこれかけよう」ってなった。
それで私がライナー・ノートを読もうとしたら、歌詞カードに全部コードが書いてあった。まめな人やったね。
その頃マコちゃんは「ぱわあはうす」のすぐ近くに、すでにシーナと一緒に住んでたんやけど、私はその彼らの愛の巣にいっつもお邪魔してました。
「ぱわあはうす」の仕事を4時くらいに終えて、自分がやっている学習塾が始まる6時までの1時間か1時間半くらい、毎日、鮎川塾に通っていました。
1年以上かな。それが今のすごい財産になった。その後1977年にレコード屋を始めたんやけど、その後も限りなく教えてもらいました。
それではキンクスの「フェイス・トゥ・フェイス」から「ホリデイ・イン・ワイキキ」。
▽ The Kinks / Holiday In Waikiki [Face to Face](1966)
松本 次は、森山達也やモッズの連中と知り合った頃のことを話しましょう。
うちのレコード屋のスタッフの女の子が「モッズていう面白いとがおるよ」って教えてくれて見に行ったのね。
照和の4階で「ヒストリー・オブ・ブリティッシュ・ビート」というタイトルでしよった。
これまでとは明らかに違う、次の世代のカッコいいバンドが出てきたと思いました。
それから少しずつ森山達也たちと知り合うようになった。いつも北里晃一と二人でウチにレコードを売りに来てた。
私は「弦とか買わないかんとやろうね」と思って、バンドマン特価で少しプラス・アルファをつけて買い取りをしよった。
実はそれを持ってどっかの飲み屋に行っては酒代に変えよったていう話を後で聞いたんやけどね。
で、売りに来るレコードは北里晃一のだと思ってた、森ヤンは後ろにいたから。
でも実は、森ヤンが「売ってこい」って言ってたって。いくらで売れたか確かめたいから、ずっとついとったわけ。
覚えとうのはデイヴ・クラーク・ファイヴのベスト盤「グレイテスト・ヒッツ」を売りに来たこと。
アメリカ盤の貴重なやつで、そういうやつはなかなかなかったんですよ。
では、デイヴ・クラーク・ファイヴで「ビコーズ」。
▽ The Dave Clark Five / Because [Glad All Over Again]〈Best〉
松本 モッズの話が出たから次はロッカーズです。でも、彼らと音楽の話をしたことはほとんどないんじゃないかな。
コンサートを一緒に企画したことはあるけど、バンドの動きも速かったしね、あっという間に出ていって、目の前を
ヒューっと過ぎていった感じ。だから、やっぱりラモーンズ好きやった。曲は2分以内で終わらせるったい、という。
映画「ロッカーズ」でみんなも見たと思いますが。
またサンハウスの話だけど、彼らがラモーンズの曲をしよったって知らんでしょ。
後期かな、「ハバナ・アフェア」を練習していたのを見たことがあります。
でもサンハウスには曲のスピードで無理があった。ロッカーズはさすが若いので勢いよくやってた。
西新でライヴを見たときに陣内孝則は赤いスーツで、本当カッコよかったね。飛び上がってバーっと股開いて歌う。陣内の真骨頂。
では、言わずと知れた「電撃バップ」を聴いてみましょう。
▽ Ramones / Blitzklieg Bop [Ramones](1976)
司会 開店当初「ジューク・レコード1日店員事件」というのがあったそうですが。
松本 ある日山部善次郎が「俺レコード屋の店番するけん」って言ってきたんです。
「お前大丈夫や?」って聞いたら「大丈夫」。それで「明日、開けとくけん」って鍵をもらっていった。
で、翌日少し遅れて行ったら、もうびっくり。当時の店の奥にL字型のカウンターがあったんだけど、きれいな、白い、作りたての、
特注で大工さんに作ってもらったやつ。それにピストルズの「勝手にしやがれ!!」のチラシがズラーって貼ってあったんよ。
で、山部が「松本さん、よかろうが」って。俺、もう怒ってね。「勝手にするなあっ!」「クビじゃあっ!」。1日店員だったね。
カウンターは私にとっては聖域で、ジョン・レノンもレイ・デイヴィスも、キンクスも貼ったことがない。
そこに勝手にジョニー・ロットンばっかり貼るなって、ね。
▽ Sex Pistols / Anarchy In The U.K.[Never Mind The Bollocks](1977)
松本 最後に、またマコちゃんから教えてもらったやつです。私のレコード屋は、ちょうど運よく1977年に始めました。
パンクが出てきた頃ですね。その前が、面白くなかったもんね。
「ホテル・カリフォルニア」だとか、フリートウッド
・マックの流行ったやつとかね。ロックが商業ベースに乗ってしもうたもんやから。でも、もう自分はドクター・フィールグッドを聴かせてもらってときめいとった。
77年頃はラモーンズとフィールグッド、パティ・スミスとかも既に出てて、メジャーではないところで盛り上がっていた。
世の中で騒がれとうのとは違うところに、今聴くべきものがないかなというのが自分の目指すところだった。
で、これ。博多と言えばパイレーツ。マコちゃんが「パイレーツていうとがあるよ」って手紙をくれて、これから始まった。
その次にジャムも、ダムドも、モダン・ラヴァーズ、ジョナサン・リッチマンていうのがおるよって教えてくれた。
それが博多の傾向を決めてしもうたって勝手ながら思ってます。
司会 値札には「一家に一枚パイレーツ」と書いてあったとか。
松本 書いてた。それは山口洋がいまだに言うね。実際、本当に売れたもんね。
イギリスから仕入れたら全部売れて。間に合わんぐらい。それもこれも鮎川先生のおかげです。
それから時は流れて、2003年にシーナ・アンド・ザ・ロケッツの25周年ライヴを福岡CBでやったとき、
DJでチバユウスケとウエノコウジが来てくれたんです。それでDJブースを作ったら、その縁のところにチバが「Please Don’t Touch」て書いてた。
誰も触らんでくれという意味もあるんやけど、間違いなくパイレーツから来とる。
私と原島とチバと3人で顔を見合わせてニタニタって笑ってました。福岡から外にも浸透したなって、嬉しかった。
じゃあ最後に、パイレーツの「プリーズ・ドント・タッチ」を聴いてください。
▽ The Pirates / Please Don’t Touch [Out Of Their Skulls](1977)
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