『軍艦島30号棟 夢幻泡影(むげんほうよう)』
高橋 昌嗣

軍艦島30号棟 夢幻泡影

 6月のある間延びした午後、店(ジューク・レコード)に電話がかかってきた。最近の電話と言えば、通信やLEDの営業だったり、先物取り引きの勧誘だったり、レコード店ということで「AKBの予約したいんですが」とか、「アラシの~~はありますか」とか、守備範囲であっても無い物ねだりの問い合わせだったりと、あまりいいことがなく、電話を取るのが少し気が重い。
 「東京の高橋ですが」と、「あぁ、マックスさん?」…「軍艦島の写真集を出したので、送ります」と。高橋さんはサンハウスの初期の重要な写真を撮ってくれた人で、サンハウスのアルバムのクレジットに頻繁に出てくる、東京在住の名だたる写真家だ。2010年の復活ライヴのときも数多くのシャッターを切ってくれた。

 日を置かずに、その写真集が送られてきた。本を開いてみて驚いた。圧倒的な説得力だ。私は作者、高橋「MAX」昌嗣さんにどう気持ちを伝えようか、迷った。ファックスでは軽いので、手紙をと思ったが、この作品は私のそんな思いを超えてしまった。書評というには、知人であるから、我田引水の感が否めない。しかし、どうしても私の感想を述べたくて、この場でその写真集を紹介したくなった。私は仕事柄、つねにいろいろな試聴盤をいただくが、その感想をこういった形にすることはほとんどない。ものぐさでもあるのだが、ここまで突き動かすことが少ないと言った方がいい。前置きが大変長くなったが、私の書評らしきものを書いてみる。

 高橋昌嗣『軍艦島30号棟 夢幻泡影(むげんほうよう)』(大和書房)

 帯に「僕は30号棟に住んでいた」とあるが、てっきりそこの炭坑夫の話だろうと思っていたら、何と作者高橋昌嗣(以後、敬意を込めて敬称は略す)が、1972年にそこで臨時の形だが組夫として働いていたのだった。そのことがこの本では大きな意味を持つ。軍艦島は今、ユネスコの世界遺産登録を目指し、あるいは「ブーム」のひとつとして大きな注目を浴びている。建築物に関心がある私自身、こういった近代化遺産には少なからぬ興味を抱くのだが、「軍艦島」は、よくテレビでも取り上げられるが、痛々しい廃墟としか映らず、それ以上の興味の進展はなかった。
 
 しかしである。この『軍艦島30号棟 夢幻泡影』には往時の「生活」がある。それで意味合いが大きく変わる。明治になって始まった採鉱(1886年/明治19年に本格化)から、百有余年の1972年、写真家志望だが、高橋昌嗣は、ここ通称軍艦島正式には端島(はしま)、三菱石炭鉱業高島鉱業所端島鉱で坑外作業員として、友人と一緒に働く。
 政府のエネルギー政策の転換という時代の荒波に翻弄され、石炭産業は1960年代に一気に斜陽産業となる。1970年代に入り、さらに、まさに異形な形態の軍艦島での石炭の採掘はその終息の加速度を増していった。その終焉前夜の島の人々の生活とその環境を活写したしたことは、奇跡的な出来事かもしれない。
 当時、まだ進路に自信がなく、放浪していた20代前半の高橋昌嗣は、炭坑に興味を持っていたという動機も相まって、この軍艦島の落日の日々を写すこととなる。人は朽ちて行こうとしているものには関心を示さない。いよいよ最後の瞬間だけは、一時的に関心が高まり、過ぎればすぐに忘れ去る。ローカル線の廃線の時や有名デパートの閉店の時などだ。
 
 語弊があるが、この廃坑真近の炭坑が高橋昌嗣の目には新鮮に映っていたに違いない。淡々としているが、撮影者の目が生き生きしているような写真が多い。それは百聞は一見にしかずで、実際にこの写真集を手にするしかない。この島が生きていた1972年がモノクロで、再び訪れた廃墟となった2014年が鮮烈なカラー写真だ。その差異が余計に気持ちを揺さぶる。引き裂く。高橋昌嗣はここではもちろん他所者(ヨソモノ)だ。だからこそ、こういう写真の数々が撮れたのだと思う。
 私が好きな写真は、かつて「島民」の喜怒哀楽をともにしたであろう映画館「昭和館」(p.54)、「一度も座らずじまいだった白水苑(スナック)のカウンター」(p.57)、迷宮といえる場所での七人の子供たち(p.73)、市場とおばちゃんたち(p.72)、働く炭坑夫たち(p.70、p.94ほか)、2014年版では、何と言っても、人が居ようが居まいが存在する軍艦島の全景と落日(p.132~133)。とにかく、どのショットも迫真的で、素晴らしい。

 栄枯盛衰は世の習いとは言っても、2014年時点での軍艦島の荒廃ぶりは凄まじい。1972年との間には、たかだか40年ほどしかない。「文明とか何か」「人の営みとは何か」を考えてしまう。逆に軍艦島が生活の糧の場であった時、そこで過ごした人々は尋常でないエネルギーで生きていたのだとも思う。

 写真家は現実的には、商業的な写真でしか、生業とするには、難しいだろう。しかし、高橋昌嗣はこういった「現場」にこそ、自分の被写体があることをも知っているはずだ。その初期的衝動が1972年の軍艦島での生々しい体験にあると私は思っている。だからこそ、1975年に高橋昌嗣とサンハウスが出会ったと、私は勝手に思いたい。
 
 『軍艦島30号棟 夢幻泡影(むげんほうよう)』、より多くの人の目に届いてほしい。そして、なるべく書店で買い求めてほしい。